本記事では奥田英朗さんの小説『普天を我が手に 第一部』を紹介します。
『普天を我が手に』シリーズの第一弾です。
普天を我が手に 第一部
著者:奥田英朗
出版社:講談社
ページ数:592ページ(単行本)
読了日:2025年8月7日
満足度:★★★★☆
奥田英朗さんの『普天を我が手に 第一部』。
『普天を我が手に』シリーズの第一作目です。
あらすじ
日本中が大正天皇崩御の悲しみに暮れる中で、
陸軍少佐・竹田耕三の元に、待望の長男が誕生した。
その子供は「志郎」と名付けられ一家の新たな希望となる。
同じ日、北陸の金沢では、
矢野一家の親分・矢野辰一が家に戻ると、
日頃世話になっている社長から預かっていた女工の出産と死を告げられる。
矢野辰一は生まれた子供を「四郎」と名付け、自分の手元で養育することに。
東京・神保町では、
女性ばかりで作られる婦人雑誌「群青」の編集者の森村タキが、女子を出産する。
ヘンリック・イプセンの『人形の家』から「ノラ」と名付けたその子を、
女手一つで育てることになった。
さらに同じ年の大晦日、中国・大連へ渡った五十嵐譲二は、
主宰するジャズ楽団の年越しパーティ中に妻から出産の報告を受け、
生まれた子供を「満」と名付ける。
ネタバレなしの感想
昭和100年・戦後80年にあたる2025年に発売された
壮大な昭和史サーガ三部作の一作目である『普天を我が手に 第一部』。
第一部は、
昭和元年に生まれた子供たちの親世代の視点を中心に、
大正天皇の崩御から太平洋戦争開戦までが描かれている。
本書は四人の主人公による群像劇になっていて、
奥田英朗さんといえば『最悪』『邪魔』『無理』という群像劇の作品が多くある作家。
なので物語の構成などは上記の作品を読んでいる方であれば、
馴染みが深いものになっている。
一方で上記の作品との違いとしては、本書は昭和史を題材にしているということで、
実際の出来事が作中でも描かれていて、
それらが登場人物たちにも影響を与えていること。
第一部では、大正天皇崩御に満州事変、そして太平洋戦争開戦などが描かれていて、
登場人物たちがそれぞれの立場で何を感じ、何を考え、
そしてどういう影響を受けたかなどが描かれている。
なので昭和史を題材にしつつも、
それぞれの人物にもしっかりと焦点が当てられた作品になっている。
主人公たちも陸軍の軍人の竹田耕三、金沢のヤクザの親分の矢野辰一、
婦人運動をしている編集者の森村タキ、
そして満州でジャズ楽団を主宰している五十嵐譲二と多種多様な人物たち。
彼らを通して当時の世相を知ることができて、
彼らが時代の大きな流れに乗ったり、抗ったりする様が描かれている。
さらには立場も住んでいる場所も違う彼らが直接的、間接的に関わってくるので、
群像劇的な横の繋がりもあって楽しめるようになっている。
読んだ感想としてはタイトルに第一部とあるので、
シリーズものであることは読む前に分かっていたけれど、
昭和を舞台にした三部作ということは知らずに読み始めた。
そして最初の四人のパートで子供が生まれるので、
昭和元年に生まれた子供が主人公の話なのかと思いきや、
第一部に関しては子供たちの成長を描きつつも、
彼らの親視点で物語は展開していくことになる。
私は奥田さんの『最悪』などの群像劇の作品が大好きなので、
本書も非常に楽しむことができた。
ただ物語のテーマが昭和史ということで、
『最悪』などとは若干毛色は違うものになっている。
もっともディテールの細かさや、ある人のパートで出てきた人物が
他の人のパートで出てくるという面白さ。
そして昭和史ということで、実在の歴史上の人物たちが出てきて、
主人公たちに絡んでくるなどの面白さもあって非常に良かった。
大陸では戦争が行われていて、
物語のラストでは太平洋戦争開戦というシリアスな時代ながら、
第一部ではそこまで重苦しくはない。
単行本で600ページ近い作品で、さらには三部作ということで、
気楽に読むことのは難しいかもしれないけれど、
昭和史を小説(物語)として読みたい方、
奥田さんの群像劇が好きな方にはおすすめの一冊。
主な登場人物(ネタバレ要素あり)
・竹田耕三:陸軍省軍務局の少佐。後に陸軍少将で米国大使館附陸軍武官。
・矢野辰一:矢野一家の親分。後に大日本菊友会の会長。
・森村タキ:文芸雑誌「群青」の編集者。後に編集長。
・五十嵐譲二:ジャズ楽団「大連三田ボーイズ」の主宰者で歌手兼トランペット。
後に満州映画協会の制作部長。
・竹田志郎:昭和元年に生まれた子。竹田耕三の長男。
・矢野四郎:昭和元年に生まれた子。矢野辰一の四男。
実父は湯川紡績の社長・湯川敬介。
・森村ノラ:昭和元年に生まれた子。森村タキの長女。
・五十嵐満:昭和元年に生まれた子。五十嵐譲二の長男。
・竹田芳子:竹田耕三の長女。後にバーナード・カレッジに留学。
・木下正男:衆議院議員・野口徳三郎の秘書。
・池辺幸次郎:森村タキの夫。日本メソジスト教会亀戸支部の牧師。
・曹平:日本名は「タイラ」。「大連三田ボーイズ」のメンバー。
五十嵐譲二の片腕的な存在。父親は中国人で母親はロシア人。
ネタバレありの感想
個人的には満州にいる五十嵐譲二のパートは読んでいて面白かった。
物語の舞台が日本とは違う大陸の満州ということで、
文化的にも日本とは異質で、中国人(漢人)やロシア人なども登場してきて、
どことなくダイナミズムを感じさせるものになっている。
また史実でありながらも、
どういう風に物語が展開していくのか分からない面白さがあった。
実在の人物の甘粕正彦や愛新覚羅溥儀なども登場してきて、
そこまで満州には私は詳しくはないので、
ここらへんは素直に受け入れることができたのも良かった。
一方で、陸軍の軍人の竹田耕三のパートは微妙で、
私は多少は歴史を知っているので、
竹田耕三がやることが失敗する、うまくいかないということが分かってしまうので、
物語の展開の仕方が読めてしまい、そこまで楽しむことはできなかった。
ヤクザの矢野辰一、婦人運動をしている編集者の森村タキの二人は、
右翼陣営と左翼陣営という対照的な立場を知ることができるのが良い。
婦人運動や社会主義運動と協力しているソ連共産党、
それに反対する資本家や右翼などが描かれていて、興味深く読むことができた。
婦人運動といえば市川房枝が有名とはいえ、
かなり関わってきて、次巻以降も登場するのかなと思っている。
ラストでは、確固たる考えを持っている森村タキも、
隣組のバケツリレーに参加するなど協調路線に変わるかと思いきや、
「戦争反対」のビラを撒いて捕まってしまう。
矢野辰一も故郷に帰って、商社設立という現実的な路線に動こうとしていた矢先に、
宮田によって殺されたので、おそらく次の巻では息子の話になりそう。
そして当然ながら満州にいる五十嵐譲二や陸軍の軍人である竹田耕三は、
太平洋戦争勃発の影響をモロに受けるはずなので、
次巻も気になる展開になっている。